
午前8時、メインゲートが開いた瞬間、人の塊が動いた。
走っている人間がいた。小走りの人間もいた。鉢嶺は、その光景をしばらく呆然と眺めていた。「マラソンのスタートみたいだ」と思った。ここは三重県、鈴鹿サーキット。世界最高峰の自動車レースが始まる前から、すでにレースは始まっていた。
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鈴鹿サーキット ── F1が年に一度だけやってくる聖地
三重県鈴鹿市に構える鈴鹿サーキットは、1962年に開業した日本最古の本格的レーシングコースのひとつだ。全長約5.8kmの8の字型レイアウトは、低速から高速まで多彩なコーナーが連続する難コースとして、ドライバーたちの間でも評価が高い。F1日本グランプリはここを舞台に、毎年春に開催される。
2026年シーズンはここが第3戦。この週末の3日間で31万5000人が訪れ、20年ぶりに30万人超えを記録した。
鉢嶺がF1に対して持っている知識は、正直なところほとんどない。知っているドライバーといえばアイルトン・セナ、ミハエル・シューマッハ、そしてジャン・アレジ。約20年前で止まった知識のまま、現地入りした。
下見という名の予行演習

28日のFP3(※フリープラクティス3回目。決勝前日に行われる公式練習走行)と予選(※グリッド=スタート順位を決めるための一発タイムアタック)当日に、鉢嶺はまず下見を行った。観戦の勘所を掴んでおくという、どこか旅慣れた者の習性のような行動だが、要するに「本番で迷いたくない」という小心さである。
コースの雰囲気、人の流れ、ファンゾーンに並ぶ展示や体験型ゲーム。どこを切り取っても「ただごとではないスケール」という感想しか出てこなかった。
思わぬ遭遇とドライバーからのサイン
予選終了後、鉢嶺がサーキット内を歩いていると、サーキットをあとにする選手の車に向かって、長い竿の先に帽子とペンを差し出す集団がいた。近づいて見ると、その中に見知った顔がいた。鉢嶺の知り合いの銀座のホステスだった。
「なんでいるの」 「予選も見ないと話にならないじゃないですか」

彼女はフェラーリに所属するシャルル・ルクレールの大ファンであり、ルクレールからサインをもらうために集団の中にいたのだった。
フェラーリのキャップを持参したホステスが竿の先にセットして、目当ての選手の車を待ち構えていた。本命はもちろんルクレールだった。

通り過ぎた車から出てきた手が、そのキャップを取った。そしてサインして返してきた。
「ルクレールじゃなかった。ベアマンだった」
ハースのオリバー・ベアマンが、フェラーリのキャップに律儀に署名していた。「よりによってフェラーリのキャップに」という点が気になったが、ホステスは「ベアマンはフェラーリで走ったこともあるから」と何も気にしていない様子だった。

8時ゲートオープン、3キロの行進

決勝当日の朝。メインゲート付近は開門前からすでに異様な人だかりをなしていた。午前8時ちょうど、ゲートが解放されると同時に、自由席を目指す観客たちが西エリアに向かって一斉に歩き出す。その距離、3〜4キロ。早い者勝ちという本能が、行儀のいい日本人を小走りに変えた。
鉢嶺はその流れに乗りながら、「これはどう見てもレースより先にレースしてる」と思った。
ドライバーズパレード、生で見るとわかること
正午を少し過ぎたあたりから、ドライバーズパレードが始まった。特別仕様のトラックの荷台に乗り込んだドライバーたちが、サーキットを一周する。スタンドは沸く。カメラを向ける腕が、どこを見ても一斉に上がった。
鉢嶺は、フェルスタッペン、ノリス、アントネッリ……と名前を確認しながら見ていたが、半分くらいはうろ覚えのまま終わった。
グリッド、そしてスタートの轟音
14時のスタートに向けて、各マシンがグリッド(※スタート位置のこと。予選タイムの速い順に前方から並ぶ)に整列していく。メカニックたちがマシンを囲み、最後の調整が続く。あの静けさと、その後に来る轟音のギャップが、観客の緊張を作り上げていた。

実際にマシンを見て、「こんなに低くて細長いのか」と鉢嶺は思った。映像で見るより、実物はずっと「地面に這いつくばっている」という印象を受ける。
スタートの轟音は、覚悟していたつもりでも身体に来た。耳というより、胸に響く音だった。ポールポジション(※予選で最速タイムを出したドライバーに与えられる最前列スタートの権利)のアントネッリが加速に失敗し、6番手まで順位を落とすという波乱の幕開けで、代わりにマクラーレンのピアストリがトップに躍り出た。
22周目、スプーンコーナーで異変
レースは比較的落ち着いた展開が続いていたが、22周目に空気が変わった。スプーンコーナーでハースのベアマンが激しくクラッシュ。約50Gの衝撃と報じられた壮絶なアクシデントで、セーフティカー(※事故処理中に全車が追い越し禁止で低速走行するよう誘導する先導車)が導入された。
ベアマン本人は骨折こそなかったものの、脚を痛めながらもピットに戻ってきた。このSC導入が、レースの流れを根底から変えることになる。まだピットストップ(※タイヤ交換などのため一時的にコース脇のピットレーンに入ること)を済ませていなかったメルセデスのアントネッリがここでタイヤ交換を行い、一気に首位に浮上した。

そして表彰台へ
レース終盤、ルクレールはラッセルとの激しいバトルを制し、3位表彰台を確保。28周目のリスタート以降、アントネッリは後続を寄せつけない走りで独走した。最終的に2位ピアストリに14秒差をつけ、2戦連続ポール・トゥ・ウイン(※ポールポジションからスタートしてそのまま優勝すること)。19歳7か月での史上最年少チャンピオンシップリーダーという記録まで塗り替えた。

表彰台に3人が並んだとき、ルクレールファンのホステスから連絡が来た。「ルクレール3位でした!!!」。スタンプ3つ付きだった。
まとめ
F1のことは、今もよくわからない。規則も複雑だし、マシンの違いも区別できない。でもあの轟音と、8時から走り続けた一日の充実感は、説明しなくても誰かに話したくなる類のものだった。知識のない観客が「面白かった」と言えるのなら、たぶんこのスポーツは本物だ。来年も来るかどうかは、まだわからない。観客が少しずつ去っていくサーキットを眺めながら、なんとなくそう思った。